シェフ 三ツ星フードトラック始めました

ずっと見たかった映画があってなかなか機会がなかったのですが、時間ができたので久しぶりに近くのTUTAYAへレンタルしに行ってきました。タイトルは表題にもありますが「シェフ三ツ星フードトラック始めました」です。

私は「アイアンマン」というアメコミを実写化した映画のファンで、アイアンマンシリーズとその関連作品は全て見ているのですが、「アイアンマン」の監督を務めたジョン・ファブローという人が監督・脚本・製作・主演を務めた映画なのです。そしてテーマが「料理とフードトラック」というアイアンマンの3Dを駆使したハイテクな世界観の真逆をいくものであったこと、あと映画の予告編をみた時に、ジョン・ファブローの調理技術が凄かったことで興味を持ち自分のTODOリストに入れておいたのです。最初に断っておきますが、ネタバレ全開なのでまだ見てない人は先に映画を見ることをおすすめします。

ツイッターというツール

この映画を通して重要な役割を果たすのがツイッターです。年齢層が上の方も読まれているかもしれないので、念のため、ツイッターはスマートホンにも入っているウエブ上のサービスです。ツイートとはつぶやきを意味し、誰でも自分が見たもの、経験したものについてつぶやくことができ、共有したいものを一瞬でフォロワーと呼ばれる自分のことをフォローをしてくれる人達にシェアできる便利なツールなのです。自分から著名人をフォローすることもできます。余談ですが、私もアイアンマンのモデルになったと言われているイーロン・マスク氏をフォローしているのですが、彼は宇宙から返ってくるロケットのリサイクルを想定した開発を進めており、テスト動画を頻繁にツイートしているので楽しめます。ロケットが自動で着陸場所に着地する動画には鳥肌が立ちました。
話が脇道に入りましたが、このツイッターが要所要所で映画にスパイスを効かせてくれています。

町で評判のフランス料理のレストランの料理長をしている主人公が、自分の料理を批評する評論家とツイッターを通じてバトルを繰り広げてしまい、それが結果として自分の解雇に繋がります。また広告費も一切使わずに始めたばかりのフードトラックの店の宣伝を息子がツイッターで広めたおかげで、行く先々でフードトラックは大繁盛します。それを可能にしたのもツイッターです。
ツイッターは共感した人がリツイートすることで瞬時に情報が拡散されます。もちろん評論家とバトルすることで全てを敵にまわすということではないですが、、ポジティブな情報もネガティブな情報も一瞬のうちに世界中を駆け巡るという、いかに情報化された社会に我々が暮らしているかということを改めて認識させられるシーンでした。便利なツールだからこそ使う人がどういう意図を持って使うかが重要になってきます。

「好き」だからこそ、こだわる

 フードトラックにキッチン用の重い荷物を運びこむ際、自分たちだけではとても運び込めなかったので、近くで休憩中の作業員10人くらいのグループに声をかけて手伝ってもらうことになるのですが、その時に条件として美味いキューバサンドと飲み物をご馳走するというシーンがあります。いわば無料(タダ)で提供するのですが、何人かに提供し、待つ人達のために準備をする途中で目を離している間にパンが焦げてしまいます。それを見つけた父親と息子とのやりとりが、私の胸を熱くしました。

父親が「焦げてるぞ」と言うと息子が「どうせタダだよ」と返します。
そこで父親はトラックの外に連れていき息子の目を真剣な目で見つめながら、しかし静かに語ります。
「よく考えるんだ。料理は退屈か?」
息子は「楽しい」と返します。父親は「パパにとっちゃ人生最大の喜びだ」と返します。
続けて「パパは立派な人間じゃないし、いい夫、父親でもない」「だけど料理は上手い」
「お客さんが笑顔になれば、パパも元気になる」「お前もきっとそうだ」
これに対して息子は「うん」と神妙な顔つきでうなずく。
すかさず父親が「あのサンド出すか?」息子は「出しません」。
父親は満面の笑顔で「さすが俺の息子だ」と言って息子の肩に手を置きながらフードトラックに戻っていきます。
このシーンは私の胸を打ちました。怒るわけでも、大声をあげるわけでもなく、ただ静かに、しかし真剣に自分の料理に対する情熱を伝える。

楽しいからこそ、好きだからこそこ、自分の全エネルギーと持てる技術を最大限注ぎ込み最高のものを提供する。そこに値段がいくらだから、利益がいくらだからという理屈は入ってこない。というかそういうものは入る余地がないのかもしれない。自分の楽しいをとことん追求する。これが本来、人が生きるということなのかもしれない。

最高の情熱で作られたハイクオリティーのものを食べれば、自然と食べた人は笑顔になる。その笑顔をみて料理を作った人も喜ぶ。このシーンを見れただけでもこの映画を見てよかったと思いました。

相手を知るということ

この映画は全編を通して、仕事にこだわりながらも、家族との関係を上手く構築できない中年男性のもどかしさが滲み出ています。解雇された主人公が「恥ずかしく会えない」と言って息子と会うのをためらいます。確かに私も同じ立場になったら、胸を張って、自信を持って会うことは難しいと思います。しかし息子の目線(あくまで主人公ではない他人の目線)からすれば、今は職を失っているかもしれませんが、世界に1人しかいない父親であり、これまで積み上げてきた料理人としての技術や実績が無くなる訳でもありません。「息子のことがわからない」とつぶやく主人公に、職場の仲間が「知ろうとしなきゃ」と返しますが、この一言にハッと気づかされました。相手が自分の事をわかってくれないと決めつけ、嘆く前に、相手の事を理解しようとする気持ち、自分から相手に歩み寄る気持ち、距離を近づけようとするその気持ちこそが、相手を知るということの大きな第一歩になるということに。

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