ワールドカップ1990

先日、実家に戻ったときに戸棚を整理していると、奥の方からカバーが日焼けして変色した古いVHSのビデオテープが出てきました。その背表紙には拙い字で1990年ワールドカップと記載されていました。それを見た時に当時の記憶が一気に蘇ってきました。

私は小学校のときからサッカーが好きで、当時地元のスポーツ少年団に所属し平日は学校が終わったあとに練習し、週末は各地で行われる試合に参加したりしていました。中学校からは部活にサッカーが無かったこともあり、それ以来観戦する側にまわったのですが、サッカー観戦が好きな人にとって世界的なビッグイベントといえば何と言っても「ワールドカップ」です。そのワールドカップの中でも特に1990年にイタリアで行われたワールドカップは私にとって、特に記憶に残る大会でした。

今でもサッカー界のレジェンドとして時折、名前が上がるのですが優勝したドイツ(当時は西ドイツ)からは、マテウス、クリンスマン、日本でも馴染み深いリトバルスキー、ブッフバルト、そして極め付けは監督がベッケンバウアーという豪華メンバー。準優勝のアルゼンチン代表として出場したマラドーナ、3位のイタリア代表として出場したのは得点王にもなったスキラッチ、彼はジュビロ磐田でもプレイしたので日本にも馴染みがある選手です。そして同じくイタリア代表のロベルト・バッジョ、キングカズがジェノア時代に激突したカテナチオの一角バレージ、マルディーニ、4位のイングランド代表からは後年、名古屋でもプレイしたリネカー、それ以外にも大会で旋風を巻き起こしたカメルーンの怪人ロジェ・ミラ。

ブラジル代表はこの大会ではなんと決勝トーナメント1回戦で敗退するのですがジュビロ磐田でプレイしたドゥンガ、カレカ、ロマーリオ、べべット。同じく1回戦で優勝した西ドイツに敗れたオランダ代表がまた豪華絢爛なのですがフリット、ファンバステン、クーマン、ライカールト。それ以外にもルーマニアの伝説ゲオルゲ・ハジ等々挙げていくときりがないくらいにレジェンドが多く出場していました。

しかしその中でも私個人、もっとも記憶に残った選手が

「ドラガン・ストイコビッチ」

当時流行ったSF映画「バックトゥーザ・フューチャー」の主人公マーティを演じるマイケル・J・フォックスを彷彿とさせる甘いルックスに、見る人を魅了するボールさばき、次々と対峙する相手を抜き去る様はピクシー(妖精)と呼ばれますが、それだけでなく、有り得ない角度で曲がりゴールネットにつき刺さるフリーキック。当時小学生だった私は彼のプレイ1つ1つに文字通り釘付けになっていました。
特に彼が決勝トーナメント1回戦のスペイン戦で見せた超絶のフェイントシュートとフリーキックは今でも思い出すだけで鳥肌がたちます。フリーキックを決めた際はテレビの解説者も「スペインはもう1人欲しかったですね〜」と唸っていましたが、ストイコビッチの前には5人のスペイン選手が壁として立っていました。そして、その4人目と5人目の選手の間を見事に通してゴール向かって右隅に突きさしています。つまり何人立っていてもあまり関係ないくらいに彼の蹴ったボールは見事な弧を描いていました。
最初に決めた1点目も圧巻だったのですが、左サイドから上がったセンタリングが浅く、それをユーゴスラビアの選手が後ろにヘディングで大きくパスし、そこに待ち構えていたストイコビッチがダイレクトでシュート!と思いきや、絶妙のコントロールでボールを右足で一度止め、シュートを防ぐために飛び込んできたスペインのディフェンスをかわし、ゴールを決めたのです。この美しいシュートはワールドカップの歴代大会を見ている私の中でも、今のところダントツで1位です。

余談ですが、この芸術的なシュートを決めたあと、味方選手をかきわけながら最初に飛び込んだのが、日本代表監督も務めたオシム監督の所でした。当時はオシム監督のことは知らなかったのですが、後日このときのシーンを見返すとオシム監督だったので、感動が更に倍加されました。

その彼がその後、名古屋グランパスエイトで選手として7年、監督して6年に渡り活躍したことは周知の事実ですが、当時は本当に嬉しかったです。Jリーグの試合もよく観戦していました。彼の存在は間違いなく日本のサッカーのレベルを一段上に押し上げてくれたと思います。

感謝。

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